「豊橋鎮台行軍之図」 明治20年

徴兵制開始から10年を経て、従来14であった歩兵聯隊を24個に増設することとなり、そのひとつが豊橋に設置されることとなった。明治17年名古屋の歩兵第六聯隊を借屯地として1700名あまりで編成され、昭和19年吉田城址の地に移動をはじめ、翌年5月兵営が完成した。本図はその年に豊橋で出版されている。当初正門は西の関屋側にあった。
豊橋鎮台行軍之図

版画「豊橋鎮台行軍之図」 明治20年

この記事は 2014年04月22日に更新されました。

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