東海道と吉田宿について
東海道と、その要「吉田宿」について、関連資料とともに紹介します。
吉田宿(よしだじゅく)
- 所在地:豊橋市札木町・呉服町 他
- 交通アクセス:豊鉄市内線(市電)「札木町」下車
解説
吉田宿はかつては「今橋」と呼ばれ、古くから東西交通の要衝でした。江戸時代には東海道五十三次の宿場町として、さらには城下町・湊町として栄えました。 吉田宿は、江戸日本橋から34番目、約73里(287キロメートル)の所に位置しています。宿の中心部には東海道が走り、それに沿って東西23町30間 (2.6キロメートル)の長さで町が展開していました。また軍事目的から見通しを妨げるため、東海道には数多くの曲がり角がもうけられていました。 宿は24ヶ町で構成され、正徳2年(1712)の人口は7217人でした。宿の中心である札木町付近には大名などが宿泊する本陣が2軒、脇本陣が1軒あるほか、問屋場1カ所、多数の旅籠屋などがありました。関連資料
この記事は 2024年03月05日に更新されました。