志埜芦絵四方平鉢(北大路魯山人)
志埜芦絵四方平鉢 北大路魯山人(きたおおじろさんじん) 29.5cm×29.5cm×7.3cm
解説
書にはじまり、てん刻・陶芸・絵画・漆芸・染色と多彩な分野に非凡な才能を発揮した魯山人は万能の芸術家といわれ、美食家としても著名です。 「美食倶楽部」や「星岡茶寮」の主宰で知られる魯山人には「食器は料理の着物である」という信念があり、自作の料理を盛る器として通俗的な市販品では満足できなかったのでしょう。その結果、自ら作陶の道へと進んで行くことになります。 志野(志埜)は桃山時代に美濃でつくられた日本独自のやきもので、鬼板(褐鉄鋼)を原料とする鉄釉で簡素な絵をつけたものを絵志野といいます。魯山人は昭和9~10年に北鎌倉に築いた倒焔式登窯で志野や織部、黄瀬戸などを焼いています。この頃から「鉢の会」という展示会を東京・大阪・名古屋で開催し、作品の頒布もはじめました。その数は数千とも1万ともいわれ、種類も多様でした。 この作品もそうした頒布作品のひとつとも考えられます。鉢の裏側には芦の絵と同じ鉄釉で「ロ」と署名されています。また故白崎秀雄氏によれば、こうした四方という形状は「圭角(かど)をたてる」魯山人の性格があらわれているといいます。 司コレクションの魯山人作品は他に5枚揃いの「伊賀釉四方鉢」があります。
この記事は 2014年02月04日に更新されました。