金襴手鳥魚文盃(永楽保全)

永楽保全《金襴手鳥魚文盃/金襴手鳥魚文盃台》

永楽保全《金襴手鳥魚文盃/金襴手鳥魚文盃台》

金襴手鳥魚文盃/金襴手鳥魚文盃台
永楽保全(えいらくほぜん)

金襴手鳥魚文盃  6.1cm×3.8cm
金襴手鳥魚文盃台 10.5cm×2.4cm

解説

青木木米、仁阿弥道八とならんで後期京焼の三名工の一人と称される永楽保全は、寛政7(1795)年、京都の織屋澤井宗海の子として生まれました。13歳の時に土風炉師・西村家10代善五郎了全の養子となり、のちに11代を継承しています。保全は若くして陶技に優れ、書画、和歌、蘭学などにも才をみせました。その秀でた才覚を活かし、土風炉以外にも交趾、青磁、祥瑞、染付、赤絵金襴手など幅広い作陶を行い、今日の永楽家の基礎を築きます。永楽姓は、保全が文政10(1827)年に紀州藩主徳川斉順の御庭焼に従事した際、その功績に対して賞賜された2つの印のうちの「永楽」の銀印に由来しています。
金箔や金泥を用いて絢爛たる文様を器肌に施した陶磁器を金襴手と総称しますが、この技法は日本では江戸時代以降に頻用され、伊万里焼や京焼に多くの例をみることができます。ここにあげた作品は中国明代嘉靖年間(1522-66年)にさかんに作られた金襴手の写ですが、中国の金襴手が金箔を焼き付けたのに対し、保全は剥落を防ぐために金泥を用いています。盃は端反り朝顔型で、口縁は盃台ともに細かい輪花に作られ、赤絵の上から鶴、雲、鯉などが金泥で、盃の見込みには獅子が染付で描かれています。盃、盃台とも高台内には「大日本永楽造」の染付銘が見られます。
司コレクションの保全作品には盃、盃台のほか徳利、盃洗、急須、湯呑、香合、水指など様々な器種があり、種類も交趾、安南、祥瑞、染付、呉須赤絵、金襴手など多様です。

この記事は 2014年02月04日に更新されました。

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