絵刷毛目花瓶(浜田庄司)
解説
浜田庄司は、明治27年(1894)に現在の神奈川県川崎市溝口に生まれました(本名は象二)。 幼い頃、近所に東京美術学校へ通う橋本邦三のアトリエがあり、そこには石井柏亭・鶴三兄弟や山本鼎らが出入りしていました。アトリエに遊びに行くうちに浜田も画家を志すようになりますが、16歳の時に画家を断念し、陶芸の道へ進むことを決意します。 大正末期、柳宗悦、河井寛次郎、浜田の3人は、名もない工人の手によって作られた廉価な日常雑器にこそ、自然から生まれた普遍的で純粋な日本の美が息づいていると考え、「民芸」の新語を創案します。「民芸」とは「民衆的工芸」の略称で、その後民芸運動は陶芸にとどまらず、染色や木工など広く工芸の分野に及んで展開されていきました。 この絵刷毛目花瓶も、民芸陶器のもつ温かい風情がよく表れた浜田らしい作品といえます。刷毛目は朝鮮陶器の手法の一つで、白絵土を刷毛で一筆に器に塗ったものをいい、この花瓶にも刷毛の勢いと動きがよく表れています。その上から唐黍(とうきび)が二カ所、簡素に描かれていますが、唐黍は浜田が写生から生み出し、生涯を通じて描き続けた意匠で、柳宗悦に絶賛されたものです。 大正13年から益子に移って作陶をしましたが、無名の陶工のように作品には一切サインも印も押さず、頼まれれば箱書きをするだけでした。この花瓶にもサインや印はみあたらず、共箱の蓋の裏に「絵刷毛目花瓶 庄司 印」と自署されています。 昭和30年(1955)には<民芸陶器>で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定され、ついで昭和43年(1968)には文化勲章を受章しました。 司コレクションの浜田作品は、このほかに飴釉注瓶とカップの2点があります。この記事は 2014年02月04日に更新されました。