グアディスの家
三岸節子(みぎしせつこ) 1905-1999 1988(昭和63)年 麻布、油彩 89.0×116.0 画業55年の歩み-三岸節子展出品 平成3年度購入
解説
スペイン・アンダルシア地方の町、グァディスに取材したこの作品は、赤・白・青と明快な三層の色面と力強く幾何学的な線描で構成され、風景画に主軸をおいた三岸節子の後半生にあって、とりわけ抽象化の傾向が著しい作品です。手前に俯瞰したグァディスの赤い屋根の連なりを描き、遠景に家々の白い壁を置いていますが、それらの形象は画面の上で一旦溶解し、ボリュームのある色彩の塊として再び我々の眼前に屹立するのです。女子美術学校を卒業後、洋画家として活動を始めた三岸は、マティスやボナール、ブラックなどの影響を消化し、鳥や埴輪などをプリミティブな形象でとらえて力強い画面を築き上げましたが、昭和43年からは南仏カーニュに移住。昭和62年にはスペイン・アンダルシア地方に一時滞在して連作を制作しています。強い陽光のもと、あらゆる色彩が鮮烈にその存在を主張する風土は画家を強く惹きつけたのでしょう。すでにこのとき80歳を越えていましたが、大胆な画面構成とエネルギッシュな筆致からは衰えることのない作画への旺盛な意欲がうかがえます。略年譜
一宮市に生まれる。旧姓、吉田。大正10年に上京し、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事。大正13年、女子美術学校を卒業し、三岸好太郎と結婚。以後、春陽展、独立美術展に出品を重ね、昭和14年以降は新制作派協会に拠点を移した。婦人洋画協会、女艸会、七彩会を結成し、戦後は女流画家協会を発足。サンパウロ・ビエンナーレ、日本国際美術展、現代日本美術展、国際具象派展などに出品。当初はマティスやボナールの影響がうかがえる室内情景や静物を描くが、やがてキュビスム風の鳥や埴輪を構成した力強い作風へと転じる。昭和43年、南フランスに移住。翌年、女流総合展・潮を結成。梅田近代美術館(昭和56年)、神奈川県立近代美術館(60年)、米・ワシントン女性芸術美術館(平成2年)などで回顧展が開催されている。平成6年、文化功労者となる。平成10年、尾西市(現:一宮市)三岸節子記念美術館が開館。この記事は 2014年02月12日に更新されました。