モスタルの道具屋
冨安昌也 (とみやすまさや) 1918- 1991(平成3)年 紙、水彩 97.0×130.3 第79回日本水彩展<内閣総理大臣賞> 平成6年度購入
解説
ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市モスタルは、アーチ型の橋で知られる白い石造りの美しい町です。1992年、ユーゴスラビアからの独立紛争で町は破壊され、橋も爆撃を受けましたが、その後復興を遂げ、橋とその周辺は2005年に世界遺産に登録されました。冨安昌也は1988年にユーゴスラビアを巡る旅行に出かけ、その時モスタルにも立ち寄り、この絵の光景を目にしました。道具屋の店先に腰を下ろしてこちらを凝視する男の眼は、対峙する者をとらえて離さない強さをたたえています。寡黙な険しい表情とは対照的に、その着衣はまぶしいほどの白さを放っていますが、これは塗り残すことによって紙の地色を最大限効果的に生かす技法によっています。東京美術学校時代、藤島武二教室での修練によって培われた冨安の卓抜した画技のなせる表現でしょう。光と影が織りなす情感豊かな色彩の階調の中に、深い人間の存在感をも感じさせるこの絵は、第79回日本水彩展に出品され内閣総理大臣賞を受賞しました。(岡田亘世)略年譜
豊橋市に生まれる。東京美術学校油画科で藤島武二に学び、昭和16年に同校を卒業して従軍(~20年)。昭和22年より愛知県豊橋中学校で美術教師として教鞭をとるとともに、豊橋文化協会理事などをつとめ、当地方の文化振興に尽力した。昭和26年、第39回日本水彩画展に初入選し、三宅氏賞を受賞。会員に推挙される。昭和39年、教職を退き、中部デザインセンターを設立。しだいに油彩画から水彩画に比重を移すようになるが、一貫して美術学校時代からの堅実な写実描写を画風の特質とした。平成3年、第79回日本水彩展で内閣総理大臣賞を受賞し、翌年、評議員となる(平成6年:理事)。平成12年、冨安昌也展(豊橋市美術博物館)を開催。豊橋文化賞(平成5年)、東日賞(17年)を受賞し、平成15年に豊橋市勢功労者となる。近年は世界各地に取材に出掛け、その風物をモティーフとした水彩画を制作している。この記事は 2014年02月12日に更新されました。