少女と昆虫

北川民次 1968(昭和43)年 麻布、油彩 60.4×80.9 第7回国際形象展出品 平成11年度購入

少女と昆虫

少女と昆虫

解説

アメリカのアート・スチューデンツ・リーグ夜間クラスでジョン・スローンに学び、メキシコに渡ってトラムパムやタスコの野外美術学校で児童教育に携わった北川民次は、当初セザンヌやゴーギャンの影響を示したものの、児童教育への実践からプリミティブな形態把握による表現を確立した。帰国した後はメキシコの風物や情景による独創的な世界を描いて二科展の中でも特異な位置を占め、戦後は疎開先であった愛知県瀬戸市に定住し、社会的な主題や家族の肖像を描く一方で児童美術教育にも力を注いでいく。画面はしだいに暗い色調から明朗なものとなってゆくが大胆な画面構成と鮮やかな色彩対比によるこの《少女と昆虫》に至って、安定し円熟した画境がうかがえる。 モデルは孫娘である。日本が戦争へと突き進む1939年に描かれた娘の肖像《作文を書く少女》《鉛の兵隊(銃後の少女)》に似た構図であるが、それらの作品の少女の顔、特に後者の鉛の戦車や兵隊を見つめる少女の空虚な瞳を思うと、この孫娘の明るい顔は希望に満ちた未来に向けられているかのようである。夏休みの自由研究であろうか、机の上には宝物のように輝きを放つ昆虫たち並べられているが、少女の視点はこの昆虫には注がれていない。少女の瞳は空を見つめ、楽しかった夏の思い出やこれから繰り広げるであろう小さな冒険に思いをはせているかのようである。 赤い壁には当時の群像様式を示す作品がかけられており、青い壁には妻と民次自身の肖像画が少女を愛情深く見守っている。画中画である自画像は1948年の《画家の自画像》と同一の構図・着衣であるが、黒々とした頭髪をもつ壮年期の自画像は初老の姿に変じている。また、画面右下のサインの上にも民次自身の象徴であるバッタが描きこまれる。 当館に収蔵される作品には他に《画家の家族》《食卓》の2点があるが、前者は民次と妻と息子、後者は息子夫婦を描いたものである。この作品もそれらのファミリー・ポートレイトに連なるプライベートな性格のものであるが、児童画を思わせる明快な表現と自由と希望を託した子供の姿からは、児童美術教育にたずさわってきた作者の一面がうかがえる。

この記事は 2014年02月12日に更新されました。

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